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千年の孤独

田中泉(タナカ セン)によるレビューブログです。

国語の教科書は日本文学のベストアルバムだ

以前、ロックバンド a flood of circleのギターボーカル、佐々木亮介氏はユーストリームでこう言っていた。「国語の教科書は言ってみれば、日本文学の素晴らしい作品を集めたベストアルバムなんですよ」と。

 


a flood of circle - BLUE

 

私は小学生の頃から、新学年の国語の教科書はもらった日に読破するタイプだった。小説文であれ説明文であれ、文法の学習方や読書案内まで隅々目を通していた。そのため、佐々木氏の発言を聞いた時に「そういう考え方って素敵だなあ!」と感動した。彼は幼少時をロンドンで過ごしており、そこで出会った国語の教科書を興味深く読んでいたそうだ。

 

国語の教科書といえば、私は大学生の時に国語の教員免許を取得するため、3週間母校の中学校へと実習に行っていた。その準備で購入した国語の教科書も非常に面白く、研究授業で取り扱わない題材のところまで読み込んでしまったほどだ。

 

私自身が中学生の頃使っていた国語の教科書との大きな違いとしては、

 

・街中の書店で平積みされているような作家の作品を学習する(重松清あさのあつこなど)

・読書のきっかけに結びつけたいのか「実写化との比較をしてみよう」という企画で様々な映画の写真が載っている

・全部学習しないにしろ、とにかく収録されている作品が多い。教科書がめちゃくちゃ厚い。

 

私は小学6年生から週休2日制になったゆとり世代なので、改訂後の教科書の厚さに驚いた。「読書の世界を広げよう」的な企画で村上春樹の「バースデイガール」とか載っていたけど、実際の中学生の何人が読んだのか個人的には凄く気になる。

 

 

 

ネットでもよく「懐かしい」と国語の教科書で学習した物語について、話題になることがある。その中でも私が実際に学習した中で印象的だったものを3作品挙げてみようと思う。

 

 

 

「夏の葬列」(山川方夫

 

夏の葬列 (集英社文庫)

夏の葬列 (集英社文庫)

 

 

5歳上の兄の教科書にも載っていたし、私自身も授業で読んだし、更に現在の教科書にも載っていたのでかなり多くの人が触れたことがあるのではないでしょうか。2ちゃんであれば「閲覧注意」とスレタイに付く必要があるレヴェルで後味が悪いことで有名な作品。

 

主人公はある夏の暑い日、戦時中に疎開していた先の小さな町を訪れる。かつて幼い主人公は仲の良かったお姉さん、ヒロ子さんと葬列を見て「おまんじゅうがもらえるかも!」と淡い期待を抱いてその後を追うも、米軍の艦載機の攻撃に遭う。芋畑に身を隠し、なんとか逃れようとする主人公。そんな主人公を助けようとしたヒロ子さんに対し、主人公は「目立っちゃうだろ!向こうへ行けよ!」と突き飛ばす。真っ白なワンピースを着ていた彼女は格好の標的だったのだ。そのままヒロ子さんは艦載機の攻撃を受け、重傷を負う。

 

翌日に戦争は終わり、ヒロ子さんのその後を知ることもなく主人公は町を去る。

 

その罪の意識を抱えた主人公が再び訪れた同じ町で、あの日と同じように葬列が進んでいくのを見つける。その遺影はヒロ子さんの面影を残した女性のものだった。葬列に参加していた少年から死者が「足を悪くしていなかった」ことを聞いた主人公は安堵する。「彼女はあれが原因で死んだわけでも、後遺症があったわけでもない。おれは無罪だったのだ」と主人公は有頂天になるのだった。しかし、調子に乗って死者が亡くなった理由を尋ねたことで物語は急転する。

 

「ずっと昔、戦争で1人きりの娘がこの畑で機銃に撃たれて死んでしまってからこの人はおかしくなってしまい、この人は昨日川に飛び込んで死んだ。もうおばあさんだったけれど、写真がうんと若い頃のものしか無かった」

 

あの夏に犯した罪に区切りをつけるつもりでやってきた主人公だが、ヒロ子さんだけでなく間接的に母親の死にも関わってしまったのだった。

 

めでたしめでたしと思いきや、一気に裏切られるこの展開。作者は鬼か。救いが一切無いし、何よりヒロ子さんが撃たれた描写が「ゴムまりのように跳ねた」なんて、生々し過ぎて今でも覚えている。

 

この小説について書くにあたり調べていて初めて知ったが、作者は直木賞候補芥川賞候補になるも受賞ならず、交通事故により35歳という若さで亡くなっている。しかしあの瀬名秀明(代表作は映画化、ゲーム化もしている「パラサイト・イヴ」など)は「この小説に出会わなければ作家を志さなかっただろう」と発言しているので、文学界に大きな影響は与えていることは間違いない。

 

 

 

「ベンチ」(ハンス・ペーター・リヒター)

 

 

あのころはフリードリヒがいた (岩波少年文庫 (520))

あのころはフリードリヒがいた (岩波少年文庫 (520))

 

 

あのころはフリードリヒがいた」収録の短編小説。授業ではこの「ベンチ」しか読まなかったけれど、興味を持って図書館で借りて読んだら結末があまりに悲惨過ぎてどんよりしたという思い出。

 

主人公と家族ぐるみで仲が良い少年、フリードリヒの一方的な語りで物語は始まる。ある日、彼はヘルガという女の子と仲良くなって公園でデートをするものの、彼女が座った緑色のベンチを見てフリードリヒは動揺する。その緑色のベンチにユダヤ人に腰かけることを許されておらず、彼は、腰掛けることが許されないのだ。自分の身の上を話せば別れを言い渡されるだろう、と彼はユダヤ人であることを隠していた。それでもなんとか自然に振る舞おうと、知り合いがその場に現れないことを祈りながらその緑色のベンチに座るフリードリヒ。彼にヘルガがくれたチョコレートを味わう余裕なんて無い。

 

そんな彼の態度を怪訝に思ったヘルガは、本来フリードリヒが座ることを許されている黄色いベンチまで彼を連れてくる。そして彼女は躊躇い無くそのベンチに座り、差別するつもりが無いという気持ちを打ち明けるのだった。

 

再び会うことを約束するも、フリードリヒは散々悩み抜いた末に行かない決断をする。その理由は彼の最後の一言にある。「僕と一緒にいるところを見られたら、彼女は収容所行きになってしまうから!」だ。

 

ちょうどこの頃に「アドルフに告ぐ」を読んだこともあって、「あのころはフリードリヒがいた」についてもかなりのショックを受けた。フリードリヒがどうなったのかはここでは書かないけれど、多分予想通りかと思う。

確かこの短編自体は数ページで終わってしまうほど短かったはず。それでも中学生だった私に大きなショックを残した作品だ。

 

 

 

「素顔同盟」(すやまたけし)

 

火星の砂時計

火星の砂時計

 

 

2つも「国語の教科書でトラウマになった話あげてけ」まとめ記事で大体出てくる作品を取り上げてしまったので、最後に私が1番好きな作品を紹介しようと思う。

 

この物語の世界は笑顔の仮面を付けることを義務としている。その理由を学校の授業で「人々がもし喜怒哀楽を表そうものなら、たちまち争いごとが起こるだろう。それをこの仮面が防いでくれている。仮面は私たちに真の自由と平和をもたらした」と学ぶ主人公は、仮面に疑問を抱いていた。どんな時にも笑顔でいることに味気無さを感じ、悲しい時には悲しい顔をしたいと願っていた。また、そんな考えを共有できないことに孤独感を持っていた。

 

しかしある日、公園の対岸で仮面を外す少女の姿を見つける。本来であれば警察に通報するような重大な違法行為だ。しかし仮面の下にあった彼女の寂しそうな素顔を見た主人公は「同じ考えを持つ仲間がいた」と感動するも、声をかけることができなかった。

 

数週間が過ぎた頃、少女を見かけた公園の川沿いに主人公は佇んでいた。学校で彼はとある噂を耳にする。仮面を外し、社会や警察からの目を逃れ、この川の上流で素顔で暮らしている「素顔同盟」という集団についてのものだった。

 

川を眺めていた彼の目に飛び込んできたのは、少女の仮面だった。彼女が仮面を捨て、素顔で生きようと決断したことを知った主人公は、もうこの機会を逃せば彼女に会えないと思い、躊躇いも無く川の上流へ歩き出すところでこの物語は終わる。

 

SF的な世界観と主人公の勇気にとても感動した私は、大学時代に教職の授業で「国語の授業で読んで好きだったもの」という話題でもこの「素顔同盟」を紹介した。教室ではちらほら「懐かしい」と言っている人もいたので、もしかしたら結構読んだことがある人が多いのかもしれない。

 

あと「ニセコイ」で有名な古見直志先生が昔短編で「ペルソナント」という作品を描いているのだけど、設定がわりと近いなあと思い出した。この「ペルソナント」は短編集「恋の神様」に収録されているのでオススメです。

 

 

今回は私が国語の教科書で勉強した中で印象的なものを紹介してみた。ちなみに高校生の時にやった「羅生門」やら「舞姫」やら「山月期」は後々普通にレビューとして書きそうなのであえて触れなかった。

 

他にも「少年の日の思い出」とか「チロヌップのきつね」とか「五月のはじめ、日曜日の朝」とか「はるです はるのおおそうじ」とか「そらいろのハンカチ」とか懐かしいものを色々と紹介したかった。これも後々また機会があれば。

 

当時は勉強として読んでいたものも、今読み返してみると新たな発見があるかもしれない。そりゃあ「国語の教科書は日本文学のベストアルバム」なのだから、今でも覚えているほど良いものが多いわけだ。