千年の孤独

田中泉(タナカ セン)によるレビューブログです。

夜を乗り越える/又吉直樹

 

夜を乗り越える(小学館よしもと新書)

夜を乗り越える(小学館よしもと新書)

 

 

 

「何故本を読むのか」

 

真っ直ぐなまでに「読書」についての疑問を突き詰めた1冊。読書の意味や批判について述べているほか、芥川賞受賞作「火花」の創作秘話や近代文学、現代文学の作家を紹介しているため、普段読書する私も興味深く読めた。

 

 

 

何故太宰なのか。

 

「又吉といえば太宰治」のイメージが大きいかもしれないが、実際に又吉はこの著書のなかで太宰との出会いを語っている。中学生の頃に友人に薦められた「人間失格」を読み、主人公の葉蔵に共感した彼は「本に出会い、近代文学に出会い、自分と同じ悩みを持つ人間がいることを知りました。それは本当に大きなことでした。」と語っている。

 

私自身も太宰がすごく好きで、大学の卒業論文のテーマにもしたくらいだ。私が太宰にハマったきっかけは「人間失格」ではなく「女生徒」だけど、「共感」という点では同じだなと思った。1人の女の子の普通の1日を語った作品は、「ああ、そうだよなあ」と共感するポイントがたくさんあった。

 

「太宰好き」にはあまり良い印象が持たれていないそうだけど、太宰は共感させてくれる作家だと改めて「夜を乗り越える」を読んで感じた。「自分だけじゃない」、「自分以外にも同じことを思っている人はいたんだ」と。「どうせ中二病でしょ?」なんて勘違いしている人にこそ、読んでほしい。

 

 

 

辛口な批評家に人は弱い。

 

本だけでなく、ネットではありとあらゆるものへの批評があふれている。電化製品も映画もゲームも漫画もアニメも、それに完全に左右される人はそんなにいないとしても、なんとなく参考にする人もいるだろう。その批判についても「夜を乗り越える」では述べられている。

 

どれだけ腹が減っていても不味い飯は存在します。それでも、どんな店に行っても「不味い、不味い」と口癖のように言っている人に腹立ちませんか。そんなに、自分が好きな店を見つけられないものかなと思います。

 

「夜を乗り越える」より

 

 

そういう人が褒めたものは「あまり褒めないあの人が褒めるんだから、相当面白いのでは?」という気がしてくるのはあながち否定できない。なんやかんや人は辛口な批評家に弱いのだ。

 

「ただ、それだけが面白い本を見つけることではない」とも語る。誰かの批判、特定の厳しい批評家のことだけを信じるのは、守備範囲が狭くなるのだ。

 

だから批評があるのも当然ですよね。それは文学が進化するために、腐敗させないために必要なものだと思います。ただ、最初から批判的に読もうとする人間には虫酸が走ります。

 

「夜を乗り越える」より

 

 

とはいえ批評に対して完全に否定しているわけではない。批評は文学の質を上げるためにも、なくてはならないもの。褒めるだけが良いわけではないけれど、最初から批判的に読むことは私もどうかと思う。

 

はなっから喧嘩腰に物事を批判する人は、素直に物事を見れないかわいそうな人なのかとも思う。皆が「これいいよね」と「私はこれが好き」と言うなか、「俺は嫌い!!」とぶち壊す人は「どんな育ち方したの、この人……」と不安にすらなる。もし「いいよね」の段階で「私も読んでみようかな」と興味を持った人がいたとしても、実際に手に取る可能性を失わせたのと同じなのではないだろうか。それがもし「厳しい批評家」だったりしたら、「じゃあやっぱ辞めておこう」となるかもしれない。それってすごくもったいないし、誰かがその後辛い夜を乗り越える救いになるかもしれなかった可能性を潰すのって、私だったら耐えられない。誰かの新しい出会いを作ることができても、潰すことだけはしたくない。

 

 

 

批判についてハッとすることも多かった「夜を乗り越える」。改めて読書レビューをする、批評することについて考えさせられた。

 

私はこのブログで読書レビューをするにあたって、誰かと本を結び付けたいと願う。なかには批判をすることも当然ながらあるだろうけど、最終的に「読まなければ良かった」という終わりはしたくない。そんな感じで今後とも読んでもらえたら嬉しいです。