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千年の孤独

田中泉(タナカ セン)によるレビューブログです。

きっと「何者」にもなれないことなんて「わかってるんだよ」

映画


『何者』予告編

 

先日、映画「何者」を観た。4年前に就活をしていた、さらにその状況について度々Twitterにも投稿していた私は共感できるところばかりで、何度も苦しくなった。

 

「何者」は作家・朝井リョウ直木賞受賞作。冷静沈着に物事分析する主人公の拓人、同居人で天真爛漫な光太郎、光太郎のかつての恋人で拓人が密かに想いを寄せる瑞月、瑞月の友達で意識が高い里香、里香の恋人で就職活動に批判的な態度をとる隆良の5人を中心に、就職活動に挑んでいく様子が描かれている。順調にいかない就職活動に対する本音や不安をTwitterに書き込みながらも、お互いに良好な関係が築けているはずだった5人。しかし内定を勝ち取った「裏切り者」が現れた時、それまで隠していた妬みが露わになったことにより関係性に変化が生じていく……

 

Twitterは140文字の中で、なりたい自分になれるツールだ。ネタツイートでリツイートやお気に入りをたくさんしてもらう、キラキラツイートで同性から羨望の眼差しを受ける、盛った自撮りツイートで異性から「可愛いね」とちやほやされる……と、リアルの自分では得られない快感を味わうことができる。

 

映画では拓人がスマートフォンを捜査する描写が出てくるが、必死に自分の思いを140文字の中で表現しようとしていた。表に出せない本音を詰め込んだ裏アカウントで、内定を取った仲間、内定が取れないことに焦りながらももがく仲間、そしてかつて同じ夢を抱き共に戦っていた仲間に冷静な評価をくだしながら、1番「何者」にもなろうとしない自分を慰めようとしていたのだった。なりたい自分に向かって足掻く人を斜に構えて眺めながら、自分はTwitterという安全な場所で好きなように言っていたのだ。

 

そんな拓人だったが、里香に裏アカウントでの一部始終を見ていたことを暴露される。

 

「そうやってずっと逃げてれば?カッコ悪い自分と距離を置いた場所で、いつまでも観察者でいれば?いつまでもその痛々しいアカウント名通り【何者】かになった振りでもして、誰かのことを笑ってなよ。就活3年目、4年目になっても、ずっと」

 

 

「何者」というアカウント名からもうかがえるように、拓人は「何者」かになりたい思いがあった。それでもグループディスカッションで自分の意見を畳み掛ける里香を痛々しく思い、光太郎が内定を取った出版社の名前について2ちゃんの評判をチェックし、クリエイター志望だったものの現実の厳しさを目の当たりにして就活をしようと決めた隆良を笑っていた。もっと言えば、かつて一緒に演劇の公演を作り上げてきたギンジの評判を、悪いものだけを見て安心していた。それぞれ「何者」かになりたい故に痛々しくても、笑われても努力する仲間を馬鹿にすることで自分を正当化していたのだった。

 

「今年も、内定がでない。理由が分からない」と裏アカウントで嘆いていた拓人。それは、「何者」かになろうとしない自分が招いた結果だった。そのことに気づいた拓人は、終盤の面接でこう話す。

 

「短所はカッコ悪いところです。長所は、自分はカッコ悪いということを、認めることができたところです。」

 

 

カッコ悪い自分を認める。自信が無く虚構の世界で取り繕うとした拓人が一歩踏み出したところで物語は終わる。

 

映画の主題歌は中田ヤスタカによる「NANIMONO(feat 米津玄師)」。日本を代表するヒットメーカーと新進気鋭のシンガー米津玄師という最強タッグが織りなす楽曲も作品の持つ力をより強固なものとしている。

 


中田ヤスタカ 「NANIMONO (feat. 米津玄師)」MV FULL ver.

 

この楽曲について米津は拓人に一番共感したことを明かし、「他の人が作った曲に言葉を乗せるのは初めての経験だったので不安もありましたが、映画を見終わったとき、彼の心情ならきっと歌詞にできるだろうと安心したのを憶えています」とコメントを寄せている。

 

米津が作詞を手がけたこの楽曲の歌い出しは「踊り場の窓から人並みを眺めていた」とある。冷静に周りを観察していた拓人のスタンスが見て取れる。それでも「結局僕らはさ 何者になるのかな」と憂い、「台本通り踊れなくて」と台本通りであっても踊れない自分を自虐的に笑い、「僕に名前を付けてくれ」と懇願する。

 

別件だが、私は全く「何者」とは関係ないはずのキュウソネコカミの新曲「わかってんだよ」も、まさにかつての拓人が陥ってた状況を歌っていたことを知った。

 


キュウソネコカミ - 「わかってんだよ」MUSIC VIDEO

 

ライブでは観客の頭上を歩き、段ボールの板に乗ってはちゃめちゃな行動を取る彼らは、既にがむしゃらに生きている印象を持っていたがどうやら違うのかもしれない。

 

「お前らみたいなクズと一緒にしないでくれよ

ケンカ強いだけ、おまたゆるいだけ、先に産まれただけ

ダサい生き方をしている奴ら見下してた

てめぇら一生そこで笑ってればいい」

 

「ボロボロになってやっと気付いたよ ボロボロになってやっとわかったよ

あぁ僕は何も出来ないくせにバカにして 努力も挑みもしていなかったよ」

 

 

私も正直に言えば、少し前まで他人の粗探しをして自分を安心させていた。何かに向かって自分を磨こうとする人を「頑張るなんてダサい」と思ってすらいた。ダサいのは何もしようとしない自分だった。

 

それでも「何者」、「NANIMONO(feat.米津玄師)」、「わかってんだよ」を通して、いくらカッコ悪くてもダサくても足掻いていこうと思った。

夜を乗り越える/又吉直樹

 

夜を乗り越える(小学館よしもと新書)

夜を乗り越える(小学館よしもと新書)

 

 

 

「何故本を読むのか」

 

真っ直ぐなまでに「読書」についての疑問を突き詰めた1冊。読書の意味や批判について述べているほか、芥川賞受賞作「火花」の創作秘話や近代文学、現代文学の作家を紹介しているため、普段読書する私も興味深く読めた。

 

 

 

何故太宰なのか。

 

「又吉といえば太宰治」のイメージが大きいかもしれないが、実際に又吉はこの著書のなかで太宰との出会いを語っている。中学生の頃に友人に薦められた「人間失格」を読み、主人公の葉蔵に共感した彼は「本に出会い、近代文学に出会い、自分と同じ悩みを持つ人間がいることを知りました。それは本当に大きなことでした。」と語っている。

 

私自身も太宰がすごく好きで、大学の卒業論文のテーマにもしたくらいだ。私が太宰にハマったきっかけは「人間失格」ではなく「女生徒」だけど、「共感」という点では同じだなと思った。1人の女の子の普通の1日を語った作品は、「ああ、そうだよなあ」と共感するポイントがたくさんあった。

 

「太宰好き」にはあまり良い印象が持たれていないそうだけど、太宰は共感させてくれる作家だと改めて「夜を乗り越える」を読んで感じた。「自分だけじゃない」、「自分以外にも同じことを思っている人はいたんだ」と。「どうせ中二病でしょ?」なんて勘違いしている人にこそ、読んでほしい。

 

 

 

辛口な批評家に人は弱い。

 

本だけでなく、ネットではありとあらゆるものへの批評があふれている。電化製品も映画もゲームも漫画もアニメも、それに完全に左右される人はそんなにいないとしても、なんとなく参考にする人もいるだろう。その批判についても「夜を乗り越える」では述べられている。

 

どれだけ腹が減っていても不味い飯は存在します。それでも、どんな店に行っても「不味い、不味い」と口癖のように言っている人に腹立ちませんか。そんなに、自分が好きな店を見つけられないものかなと思います。

 

「夜を乗り越える」より

 

 

そういう人が褒めたものは「あまり褒めないあの人が褒めるんだから、相当面白いのでは?」という気がしてくるのはあながち否定できない。なんやかんや人は辛口な批評家に弱いのだ。

 

「ただ、それだけが面白い本を見つけることではない」とも語る。誰かの批判、特定の厳しい批評家のことだけを信じるのは、守備範囲が狭くなるのだ。

 

だから批評があるのも当然ですよね。それは文学が進化するために、腐敗させないために必要なものだと思います。ただ、最初から批判的に読もうとする人間には虫酸が走ります。

 

「夜を乗り越える」より

 

 

とはいえ批評に対して完全に否定しているわけではない。批評は文学の質を上げるためにも、なくてはならないもの。褒めるだけが良いわけではないけれど、最初から批判的に読むことは私もどうかと思う。

 

はなっから喧嘩腰に物事を批判する人は、素直に物事を見れないかわいそうな人なのかとも思う。皆が「これいいよね」と「私はこれが好き」と言うなか、「俺は嫌い!!」とぶち壊す人は「どんな育ち方したの、この人……」と不安にすらなる。もし「いいよね」の段階で「私も読んでみようかな」と興味を持った人がいたとしても、実際に手に取る可能性を失わせたのと同じなのではないだろうか。それがもし「厳しい批評家」だったりしたら、「じゃあやっぱ辞めておこう」となるかもしれない。それってすごくもったいないし、誰かがその後辛い夜を乗り越える救いになるかもしれなかった可能性を潰すのって、私だったら耐えられない。誰かの新しい出会いを作ることができても、潰すことだけはしたくない。

 

 

 

批判についてハッとすることも多かった「夜を乗り越える」。改めて読書レビューをする、批評することについて考えさせられた。

 

私はこのブログで読書レビューをするにあたって、誰かと本を結び付けたいと願う。なかには批判をすることも当然ながらあるだろうけど、最終的に「読まなければ良かった」という終わりはしたくない。そんな感じで今後とも読んでもらえたら嬉しいです。